ひとことで言うなら、時代が変わったのです。
時代はいきなり変わるように見えますが、ジワジワと日々変わっているというのが本当です。
政治家の不謹慎な行動・言動、要は失言の連発など・・・
こういうことが起こるのは、もうこの人たちが時代にマッチしていないからなのでしょう。
時代にマッチしていない人たちなのにまだ残っている・・・これが一番の問題なんですね。
政治も学校教育もシステムが古い。古くて良いものもあれば、古くてはいけないものもあるでしょう。
今は古いと良くない部分を取り換えるべき時期なのに、取り替えがうまくいっていない。
取り替えさせないようにしている人たちが多すぎるわけです。
自分の息子を要職につけたら不祥事起こすとか、なんちゃら塔の前でなんちゃらポーズを取っ手「お茶目」な人だとでも思ってもらえると勘違いしている、この「勘違い」連中が国のガンであることは間違いありません。
ネットが発達した世の中では、「いまの日本人は経済的にもゆとりがなく、ピリピリしている」というような発言をよく目にします。
これはある意味当たっているかもしれません。
でも私が気になるのは、まずこういう発言を発信している人が「裕福」で暮らしにこまっていない人たちだということです。
自分は当事者じゃないから、あくまでも対岸の火事です。だからノンビリと偉そうなことを言って(特に〇〇えもんとかいう東大出を売りにした前科者の様に、)あえて逆張りの意見を唱え目立とうとする馬鹿者などが目立ち、片腹痛しといった感じです。
もう一つは、「日本人は大人しい」とよく言われている件ですが、私はここにも否定的でして、
最近はネットなどを通して文句ばかり言っている人が増えていますが、こここそが大事であり、
もう「大人しい日本人」ではなくなってきているのです。
このことは非常にある意味大切であり、ちょっと良いことなのかもしれません。
だから、どこかの誰かが、「日本人を大人し」くさせたままでいたいものだから、「ゆとりがなくなった」という物言いでけん制しているとしか思えませんね、〇木健一郎君よ!
有識者だかなんだか知らないけど、いつまでも自分が上で「庶民」を「愚民」だなんて思っているのならそれは大間違いです。
日本人は大人しい、文句も言わない・・・これが今度は文句を言えば「ゆとりがなくなった」?
ハア?って感じですよね。
政治や社会への批判は当然のものであり、公の場に立つ人たちは油断できないのも当たり前なのです。
だから、そういうのがいやだったら、まじめにやればよいのです。まじめに。
ただそれだけだと思います。
以上、今日はここまで。