横浜市民にとって、そして格闘技経験者にとって忘れられない場所の一つが横浜文化体育館(以下文体)です。
この9月6日をもって文体が閉館することになりました。残念という一言ではまったく片付けられないシロモノですよ。
15歳の春、最強の男?を目指す私はレスリング部に入部。4月すぐに(!)慶〇高校のI先輩と対戦。
わずか2分たらずで抑え込まれ無念のフォール負け。舞台は文体です。
文体では高校生の格闘技(空手、ボクシングなども)の一年生たちがデビュー戦を戦う伝統の場所なのです。
それからの私は、打倒I先輩だけを念頭に、正直当時の彼女のことなどどうでも良く・・・(スマン)
きつい坂道は足の鍛錬、重い荷物は上体の鍛錬、腹筋も腕立てもロープ上りも人よりも一回でも多く、
(実際に重量級選手と同じくらいの重さのバーベルをカールしていた。)やるので、皆から嫌がられることしきりだった。
「体の小さいオマエが頑張るから、俺たちまで先生に目を付けられてるんだぜ!もうやめてくれよ。」などと言われました。
しかし私の耳は負け犬の声は入ってこないように出来ていますので(笑)、それに運動神経も腕力もない人間がトップを目指すということがどういうことか?を自分が一番知っていたはずなので、意地でも練習は手抜きしませんでした。(そのせいで授業中は完全に熟睡状態が三年間続くわけでした・・・)
翌年、ようやくリベンジの機会が訪れました。
一回戦は強豪の法〇二校のI倉君です。パワーファイターの彼は腕力でも運動神経でも多分一目見て私より一枚上手なのは承知。
そこで速攻で決めてやることにしました。
スタートからタックルでテイクダウンを奪い倒したものの膠着。このままワンポイント差で6分逃げ切るのはパワーで勝る彼が有利。
なので、プロレスギリギリの故M野君と私だけの必殺技「相手の戦意を喪失させる技」(笑)を使いました。
要はタックルしたまま、夢中になったふりをして客席のパイプ椅子にレフェリーのブレイクを無視して相手をたたきつけるという非常にケシカラン技です。
ううう・・とか呻いている相手を尻目にサササとマット中央に走って戻り「早く立って来いよ!」とか挑発するのです。
怒ってつっこんできたので、待ってましたとばかりにカウンターで胴体にからみついてローリング一閃!
勢いがあるのでくるりと回り、一気に2~3ポイントゲット。これで残り時間あと20秒(ニヤリ)。
(I倉君、スマン)。
どうにかこうにか逃げ切り、でも顔では余裕のふりをして息を切らさずにレフェリーから勝ち名乗り。
よし、これで次は念願のI先輩との勝負だ!
とマットの周りを20周(笑)。
遂に決戦。二回戦のI先輩とは1ラウンド膠着。
しかしながら、やはり強い、うまい。先輩は凄いです。最終的に首投げからブリッジしたのに、きれいに抑え込まれ、またもやフォール負け。乾杯、もとい完敗です(笑)。その日は早々と家に帰ってクソして寝ました。
3年生のときは文体では新人君たちの相手をしなかったので記憶がありません。
その後も同級生たちとデフ・レパードのコンサートを見ていて演奏中にリック・アレンがドラムスティック落としちゃったり、
リングスでヒョードルの試合みてたら後ろに高山選手が立っていたり、
何より毎年のJOC主催の少年レスリング大会の補助役員をしていて、最終的には神奈川県のドクターにしてもらえたこともあるので、文体は忘れられない場所になっていました。
故アンドレやホーガンが二回参加した文体での新日本プロレスのマジソンスクエアガーデンシリーズ。完全に満員御礼となったのはその二回だそうです。やっぱりアンドレ、ホーガンはデカくてカッコイイ!
私もデビュー当時は「この控室でホーガンがバーベルとかやってたのか!」と感慨深いものがありました。
そんな文体がもう無くなってしまうとは・・・
時代の流れにはまったく逆らうことは出来ません。
でも、少年時代からいつもワクワクするような思い出をくれていた文体には感謝します。
ありがとう横浜文化体育館!絶対忘れないからね。
ではまた。