体の異変を感じて、例えば、体内の芯(内部)の不快感、内臓の違和感などを感じて病院の検査を受診。
しばらくして検査結果を報告してもらうと、まったく異常なし。
こんなことって結構ありませんか?
まあ、異常が無いというのはそれに越したことはありません。喜ぶべきことでしょう。
しかしながら、どこも悪くないのに(現代医学的視点では)、なんだか辛い、苦しい・・・
こんなことってかなりあるのではないでしょうか?
しまいには「慣れましょう!」とか「うまくお付き合いしていくのです!」などと笑顔で言われようものなら
「いや、何とかして下さいよ~~~」ってなりますよね???
この「どこも悪くない」というのはかなり質の悪いものであり、医者へ行っても薬も手術もないという状態は結構多くあるのです。
では、どうしたらよいのか?
検査しても出てこないということは、目に見えない何らかのエネルギーが「悪さ」をしているとしか思えません。
こんなお話しをすると「またまた~、まじめにやってくださいよ。」とか言われそうですが、私自身は至ってマジメです。
真面目にやればやるほど、原因不明の症状というやつにぶつかるものです。
だいたい、考えてもみてください。よく男性に多いのが「オレは目に見えるものしか信じねえ・・・」とかいうパターンです。
ハイハイ、じゃあアンタは電気もガスも信じてないから感電死とか爆死してください!
次、要は目に見えるものというのは実はこの世の中のすべてではなくて、目に見えないものも世界には沢山あるということを自覚すべきなのです。
特に人の感情です。「私はあの人を大好きなの~、気づいてくれるかしらん・・・」などと若い女の子は思っているわけですが、これだって全然目には見えませんね。
強いて言えば、この女の子のしぐさや態度、表情なんかからは意中の人への思いを類推することは出来るかもしれません。
同様に、電気を雷なら見えますし、ガスは匂いますから体感することは可能ですね。
でも、パッと一目見て誰にでもわかりやすい状態で何でもかんでも存在するということはめったにないはずなんです。
だから、病院で「どこも悪くない」と言われても、当の本人が「こりゃどこか絶対にオカシイ、オカシイぞ~」と思っていると、やっぱりどこかおかしいのです。
そういう意味では、他者の気持になり替わることや、他人の痛みを知るということがいかに難しいかわかります。
とはいえ、同じような経験をしたことがある人であれば、完全には再現・理解できなくても、かなりの高確率で似たような感覚を共有できるケースもあります。
だからといって、私がみなさんの感情や痛みをすべて理解できるんです、とかそういうことを言いたいのではありません。
わかることはわかる。わからないことは、わからないなりに、ではどうすればそれは改善できるのか?を一緒に考えていくことこそが大事なんです。
なので、痛みの原因がわからない、痛い箇所が日々変わる、動くというようなケースがあるのです。
これを邪気のせい?として片づけるのもまた不信感を買うように思いますが、意外とそういうもので、邪気というのが「悪さ」をしているケースが多いと感じます。
具体的にどう対処していくかというと、体が、例えば梅雨の湿気が多い時期に痛むということなどは、元々その痛む箇所がその人の体の中では弱い部分であったりするわけなので、その患部を重点的に治療することで原因から対処するのが一番良いかと考えています。
根っこがあるから、邪気とか湿気とかそういう二次的要素によって増幅されてしまうわけで、とはいえ、その二次要素というものもあながちバカにならないほどに影響を与えていたりするのです。
そういう意味合いも含めて、やっぱり普段から痛い所・辛い所というのをマメにお手入れしてゆくことこそが必要なのではないか、と思ってしまいます。
それでもどうにもならない?そういうときもありますから、またそこは個別に色々ご相談ください(笑)
というわけでまた。